「涅槃図 構図に込められた祈りと願い   


                        駒澤大学禅文化歴史博物館所蔵
涅槃図とは、お釈迦さまが入滅(お亡くなりになる事)した時の様子を描いたものです。お釈迦さまが入滅されたことを「涅槃に入る」ということから、この絵を涅槃図といいます。

曹洞宗の多くの寺院では、お釈迦さまが入滅したとされる2月15日に合わせて涅槃図を飾り、お釈迦さまを偲ぶ法要、涅槃会を執り行います。
涅槃会の法要は、少なくとも奈良時代には営まれていたとされています。
日本最古の涅槃図は高野山金剛峯寺が所蔵しており、時代背景や人々の願いを反映させ、さまぎまな構図を表しながら全国へと広まっていきました。

涅槃図はお釈迦さまの入滅という悲しみの中にも、仏教画としての荘厳さを保たなければなりません。さらには、命の終焉を描くと共に、教えの永劫性を表現することが求められます。このような、一見すると矛盾する課題を仏教の教えに沿って一枚の絵の中に凝縮させていったものが涅槃図です。

お釈迦さまのお姿は、仏教徒の理想の姿として描かれてきました。涅槃図もまた、理想の死の在り方が示されています。涅槃図を読み解くことは自分自身の死の在り方を考えることであり、死を見つめることは今を生きることを見つめ直すことでもあるのです
涅槃図の解説


阿那律尊者(あなりつそんじゃ)

摩耶夫人を先導している人が、阿那律尊者です。阿那律尊者は、お釈迦さまの十大弟子の一人として、語り継がれてきました。お釈迦さまの説法中に居眠りをしてしまったことを恥じて、絶対に寝ない、という誓いを立てます。結果、視力を失ってしまいますが、そのことがかえって智慧の目を開くきっかけとなりました。十大弟子にはそれぞれ異名が付されており、阿那律尊者「天眼第一」の異名をもっています。


摩耶夫人(まやふじん)

図の右上に描かれているのがお釈迦さまの生母、摩耶夫人です。摩耶夫人はお釈迦さまの生後7日目に亡くなったと伝えられています。摩耶夫人は、今まさに涅槃に入ろうとしているお釈迦さまに長寿の薬を与え、もっと長く多くの人にその教えを説いてほしいとの願いからやって来たのです。


薬袋
お釈迦さまの枕元の木に描かれている赤い袋が、摩耶夫人がお釈迦さまのために投じた薬の入った袋です。「投薬」という言葉はこの故事が元になったとも言われています。この薬は摩耶夫人の願いもむなしく、お釈迦さまに届く前に木に引っかかってしまいました。
なお、この袋の背後に錫杖が描かれていることから、当時の僧侶が許されていた最低限の持ち物(三つのお袈裟と一つの器)を入れたものであるともいわれています。


沙羅双樹(さらそうじゅ)
お釈迦さまの周りを囲んでいるのは沙羅双樹の木で、日本においては夏椿とされています。向かって右側の4本は白く枯れています。これは、お釈迦さまが入滅されたことを人間や動物だけでなく、植物も悲しんだことを示しています。一方、左側の4本は青々と葉を広げ花を咲かせています。お釈迦さまが入滅されてもその教えは枯れることなく連綿と受け継がれていくことを示しています。
葬儀の際、祭壇に飾られる四華花は、この沙羅双樹の故事が元になっています。


お釈迦さまに触れる老女

多くの人々の中で唯一お釈迦さまのお体に触れている人物がいます。お釈迦さまに乳粥を施したスジャータ、または、お釈迦さまの教えを聞こうと訪れたが時すでに遅く、悲しみに暮れる老女など、諸説存在します。鎌倉時代の構図の中には、お釈迦さまと阿難尊者、そしてこの人物だけが描かれている涅槃図もあり、重要なメッセージが込められた人物であることは確かなのですが、真相は謎に包まれています。


阿難尊者(あなんそんじゃ)
お釈迦さまの側で悲しみのあまり卒倒している人物が十大弟子の一人、阿難尊者です。長くお釈迦さまの身近でそのお世話をした方で、最も多く教えを聞いた人物であることから「多聞第一」の異名をもちます。容姿端麗な人として模写されることが多く、涅槃図においていかに阿難尊者を美男子に描くかが、絵師の腕の見せ所でもあります。



純陀(じゅんだ)
集まって来ている人々の中で、唯一、供物を持っている人が純陀です。お釈迦さまはこの純陀から受けた食事が元で亡くなったと伝えられており、一説には、食材の中に入っていた茸による食中毒であったとされています。
容態が悪化するお釈迦さまを見た阿難尊者は、純陀の食事を受けるべきではなかった、と嘆きます。しかし、お釈迦さまは「私は純陀の食事によって寿命を迎えることができた。臨終の前に食事を捧げることは最も尊い行いなのだ」と諭しました。
この言葉には、純陀を思いやる慈しみの心と、死は厭うべきではないという仏教の教えが表現されています。

ぬ楼駄尊者(あぬるだそんじゃ)

倒れた阿難尊者を介抱しているのが十大弟子の一人、阿楼駄尊者です。実はこの阿ぬ楼駄尊者は、阿那律尊者と同一人物です。多くの弟子たちが悲しみに暮れる中、阿那津尊者だけはお釈迦さまの入滅の意味をよく理解され、当惑する人々にその死を伝えました。お釈迦さまの葬儀を営んだ際の中心的存在であったとも伝えられています。
仏伝においては、お釈迦さまとその教えを聞く人々との間を繋ぐ重要な人物として描かれています。


猫を探そう
涅槃図には、人間の他にも多くの動物や虫たちが描かれていますが、その中に猫はいません。これは、ねずみがお釈迦さまの使いとされていることに由来します。しかし、絵師が自分の飼い猫をそっと入れたり、依頼主が猫を入れてくれとお願いしたなどの理由によって、猫が描かれている涅槃図もあり、日本では数例ほど確認されています。
このような「遊び心」は嘆き悲しむ人々の中にも見受けられ、絵師や依頼主とおぼしき人物が描かれている場合もあります。これには、単なる「遊び心」というだけではなく、お釈迦さまの最期の場面に自分も立ち会いたいという願いも込められています。




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